うつ病と言われて涙が止まらず病気を認めざるを得なかった ①
身体の異変が始まったのは昨年の12月に入ってからで最初の徴候は睡眠障害。
他部門の経営不振を理由に担当していた事業の行方が右往左往し始め不安定な
状態から予定されていた人員の割当も成されないまま計画を一人で進めている
うちに明け方まで寝つけず2時間足らずで目が醒めてしまう毎日が続く。2月に
入り事業の中断を通知され派遣部門の現場作業に強制的に出される。今後の事
を話し合うと言ったきり機会は与えられないままで現状の選択肢は二つ。
「開発した製品の権利を放棄して退職」
「残って時給数百円の現場作業を延々と続ける」
おあつらえ向きなのかビルの屋上作業なので第三の選択も有りだなと考える。
高所恐怖症なのに恐怖が麻痺しているのはとても不思議な感覚。
家族も気の毒かと思うけど事故なら諦めがつくんじゃないかと緩慢に思う。
大した荷物もない部屋の片付けが妙に気になって結局その週は三つの選択を
保留したまま休日を迎える。身体が限界を迎えていたのか休日で緊張が解けた
のか30時間以上眠る事ができた。
自分がおかしくなったことは認めたくない。おかしいわけではなく疲れている
だけなのを証明するために診察を受けることを思い立つ。住まいに一番近い心療
クリニックに予約の電話を入れるとカウンセリングよろしく色々聞かれる。
患者の性質上かとても穏やかで慎重、正直に答えていくと一旦折返しますと。
そして掛かってきた電話を要約すると…
「内容的にうちでは無理なので24時間対応の病院に行って下さい」
だった。
続く
うつ病と言われて涙が止まらず病気を認めざるを得なかった ②
まさか診察を断られるとは予想しておらず想像以上のダメさに呆然。
自傷する可能性のある患者は夜間対応できないから無理というのが
理由らしい。すでに心が折れそうだったが、ネットで見つけた当日
初診OKの精神病院に電話をして列に並ぶ事にした。
その病院は駅から遥かに離れた丘の上。倦怠感が激しいのに何故か
必死に歩くのはどのバス停か分からなかったのと自虐的になってる
せい。40分程坂を上ったところでようやく白い建物が見えてきた。
「あの、初めてなんですけど」
「紹介状有りますか?」
「こういうところは初めてです…」
「はい、じゃあ問診票記入してお待ちください」
最初のクリニックと比べて素っ気ない対応と待合室のパイプ椅子が
落ち着かない。隣室からはよく分からない大声が響いてくる。
2時間程で待合室が空になってからようやくスピーカーで呼ばれ診察室
に入ると年配の柔和そうな先生が待っていた。
「あの…何から話せば…」
「眠れない理由は思い当たりますか?病院で何を治されたいですか?」
「あっ…えと…」
思いがけず結論ありきだったので言葉に詰まってしまった。仕事の相手
なら満点だが今は厳しい。とりあえず仕事の環境の急変に対応できず
今は行き詰まってしまった経緯を早口で話したところで先生がにっこり。
「つらいこと話すのって勇気要るよね。よく来てくれましたね。」
年甲斐もなく一言で完落ちした。
続く
うつ病と言われて涙が止まらず病気を認めざるを得なかった ③
言葉で吐き出すことは気持ちを楽にする。ただ、情け無さと悔しさで
涙は出るし失われつつある未来が変わる訳でもなく楽になったのは
まやかしに過ぎない。それでも話してその場凌ぎの楽をしようとする
のは弱さなのだろうか。
一通り話し終えて先生から総括。
「言動が出口のないループにはまり込んでいます」
「日常の緊張感で脳が疲れてしまったんだね」
「もう少し早く来れたら良かったね」
え、手遅れ的な事言いませんでしたか?
「これは典型的なうつ病です」
「投薬で少しづつ治していきましょう」
分かってはいたけど認めたくない。仕事で壊れたなんて嫌だ。
…号泣
意図せず早口になること、感情がコントロールできていない事、
眠れない事、死に逃避を求める事…認めるしかない。悔しさが
一番強かったと思う。
その後、精神科の受診履歴が社会でハンデになる時があるかも
しれない事(銀行融資とか)の説明を受け1カ月の休養を言い渡され
診断書を貰って帰った。
いよいよどうでもいい肉塊になったが結果は結果だ。